花火の歴史

徳島と花火

昔、徳島県の勝浦川沿いには、阿波藩の軍備を支える火薬庫が沢山ありました。後に、軍用火術でしかなかった火薬を「庶民の花火」(平和産業)へと変え使うようになりました。
私達の祖先は神に祈る時、火をもって清め、清浄な心と体で誠意を示すことが条件とされ、神への敬いが祭りの原点であります。立江八幡神社礼儀式では花火が農村青年の奉仕によって奉納花火として納められました。「阿波花火」はこの様な神事から生まれたと伝えられています。また、徳島県が四国での花火発祥の地と伝えられ、製造に関しても西日本一の生産高を誇っています。

日本と花火

日本の花火は世界一精巧で美しいと言われています。それは幾多の花火師たちが精魂を込めて、文字通り命を懸けて伝えてきた伝統技術だからです。
中国から伝わった花火の火術に、日本人が鮮やかな色を付け「大輪の花火」と言われる程に鮮やかに丸く開くようにしました。
花火の起源はいろいろと伝えられていますが、阿波花火の場合は軍用火術であったと伝えられています。
秦の始皇帝の時代に中国で「狼煙(のろし)」として使われていた黒色火薬が花火の始まりのようで、シルクロードを通って火薬がローマに伝わり、ヨーロッパ諸国最初の花火がイタリアのフィレンツェに始まったとされています。

日本に火薬が伝わったのは1543年、ポルトガル人が漂着した時に持っていた鉄砲の部品であったと伝えられています。その後、火薬は狼煙や火砲に使われますが、1613年に現在のような観賞用の花火を最初に見たのが駿府城の徳川家康だと伝えられています。また、最近になって徳川家康より24年前(1589年)に伊達正宗が花火を楽しんだという記録や、ポルトガルの宣教師が花火を打上げて人々を驚かせたという話もあるそうです。そして泰平の世の中で鑑賞用の花火となって、多くの花火職人の手により現在の花火へと変化してきました。